哀愁と切なさと鉄仮面

雑記ブログ。旅行好きの大学生のブログです。

最近見た映画「世界から猫が消えたなら」

お題「最近見た映画」

世界から猫が消えたなら
小説を知らなかったのでこの題名を見たとき
猫が存在しない世界では食物連鎖がどうなるとか、
地球や人類にどのような影響を及ぼすのか考える映画だと思っていた。

実際のストーリーは
余命宣告を受けた青年の前に悪魔が現れ
一日余命を延ばす代わりに世界から何か一つを消すというものだ。
消されたものはそれに関する思い出も一緒に消えてしまう。
嫌いなものを述べて消せたら幸いだが、何を消すかは
勝手に決められる。
これはあってもなくてもいいものだよねと言われて。

そしてものが消されていったあとは、
別の何かに変わって「大して重要じゃなかったね」と言わんばかりに
最初からそれがなかったかのように扱われる。
なんだか怖いな、と思ったが、
これは日々私たちが繰り返しおこなっていることなんじゃないかとも思った。

そう思ったきっかけは、私事ではあるが最愛の祖母の死だ。
私にとってはかけがえのない存在だが、
祖母がいなくなっても世界は何事もなかったかのように
いつも通り動いている。
いつも通りじゃないのは、祖母の存在を知っていた人だけ。

そして私も誰かにとってはいつも通りじゃなくても、
いつもと同じだと思って生活している。
この世の中全てのものは、誰かにとっては必要だし
あってもなくてもいいものなんだと感じた。

この映画の中の悪魔にとっては
主人公がどんなものをかけがえのないものだといっても
きっと容赦無くいらないものとしてみなすだろう。
要するに、大切なものというのは主観によって決められているだけ。

それをあえて主張する事で
この世界に存在する全てのものがかけがえのないものだと思えたら
どんなに素晴らしいかをこの映画は教えてくれる。
いらないものや足りないもので溢れていると考える人生だと
大切なものに気づかずに過ごしてしまうことになる。
そんな風に考えて人生を終える人も少なくないんじゃないか。

映画の終わりがけに「ありがとうで終わる人生もいいものだな」と
悪魔は言った。
そして悪魔は青年自身であることを、青年は悟る。
つまりみんな悪魔を抱えて生きているのだ。

幸せって何?と聞かれると私はうまく説明できないが
悪魔のように感じてしまう自分も受け入れて前に進むこと。
これは幸せに生きる方法の一つなんじゃないかと思った。