哀愁と切なさと鉄仮面

雑記ブログ。旅行好きの大学生のブログです。

現代アートに触れて。ーわたしのフロントガラスからー

わたしのフロントガラスから

あいちトリエンナーレ地域展開事業の一環として行われたアートイベント、
「Windshield Time-私のフロントガラスから」の展示を見に行った。
2019年2月11日までなのでもう終了したものなのだが、

非常に面白い展示だった。

 

開催場所は豊田市駅周辺の7箇所で

2時間あれば周れるボリューム、距離だ。
入館料は全て無料だが、タダとは思えないクオリティで

非常に手の込んだ作品ばかりである。

 

今まで様々な美術館に訪れ、

時代や国を問わずいろんな芸術作品を見てきたが
この展示は私に新たな視点や考え方を与えてくれた。
特に印象に残った作品を紹介しつつ、

どのようなことを学んだかも伝えていこうと思う。

印象に残った作品たち

正直に言うと本当にどの作品も面白くて今までに無いような

作品だった。

言語化できないくらいドキッとした作品もあった。

そんな中で最も良かったものをピックアップして紹介していこうと思う。

あなたのヘッドライトまで

この作品は旧愛知銀行豊田支店にて展示されていた。

作者は徳重道朗。

 

建物の中に入って階段を下ると係員さんにペンライトを渡される。

「お使いください」と言われて、

真っ暗な牢屋のようなところの前に案内される。

 

何が何だか分からずとりあえず鉄格子のドアを開けて進んでみる。

電気の一つもついておらず、お化け屋敷のようで足がすくんでしまった。

 

入ってすぐに「入らなきゃ良かった」と後悔するほど怖い。

ライトをあちこちに当ててみると気味の悪い人形が散りばめられている。

 

ホラーが苦手な私は半ば泣きそうになりながら、早足で一周した。

一周し終わり振り返ると案外怖くないことに気付き、

むしろ愛着すら覚えた。

 

チャッキーのようだと思っていた人形たちは、

まるで寂れた遊園地のように見えた。

よくよくみるとどこか懐かしくかわいい。

 

小さい頃に抱いていたクマの人形を

暗い倉庫から取り出したような気持ちになった。

初めはただただ怖かったのに懐かしさや愛着を抱くなんて

思いもしなかった。

 

この作品は7箇所全て周った後にもう一度見に行ったくらい

気に入った作品だ。

臨界点2018「ヒカり」

「わたしのフロントガラスから」を観に行った人の多くは

「喜楽亭が一番良かった」と答える人が多いと思う。

それはおそらく一番手間がかかっていて、

強いメッセージ性を秘めているからだ。

 

喜楽亭の一番の見どころと言っていいほどの作品である。

作者は小島久弥。

 

作品は3つの部屋に分かれている。

1つ目は家屋の模型が古い畳の上に配置されている。

暗い部屋の壁に一つだけ小さな丸い穴が開けられ、

その穴からは外の景色が見える。

 

部屋の中は穴から差し込む、光と

逆さまになった外の景色が映し出されている。

畳は初め畑を意味しているのかなと思ったがよく見ると、

建物が途中で切れていることに気付く。

 

古い畳が意味するのは畑ではなく泥水なのだ。

洪水によって家屋が沈んでいる様子を表している。

 

そのことに気付き、

初めに牧歌的なイメージを抱いていただけあって

ドキっとした。

穴から差し込む景色はただただ綺麗だなあと思っていたが、

洪水によって日常が反転してしまった様を表しているのではないかと

少し恐怖を覚えた。

 

嫌味なまでに美しいその光は、

災害後の静けさというか沈黙を表しているようにさえ思えた。

 

次の部屋に移ると、ろうそくの周りにガラスでできたしずくが吊るされ

その下にお椀が並べられている。

テグスのようなものでしずくを吊るしているのかと思いきや

全部ガラスでできているらしく、ガラス職人の技量に驚いた。

 

おばあさんが昔話を話しそうな雰囲気のなか作品と対峙する。

ここでもやはり水がテーマなのだと気付く。

 

昔はこうやって雨漏りしたらお椀で受けていたのかなと

思いを巡らさせられた。

 

最後に入った部屋は水面のようなところから蓮が咲いて、

奥の障子には映像が映し出されている。

映像には、ガなどの虫がだんだん集まってきて

最後に人が電気を消すといった様子が映っていた。

 

障子の映像を見ていると、祖父母の家の電灯に群がる虫を思い出した。

当時はただただ気持ち悪いとしか思わなかったが、

この映像はそんな思い出を美化して思い出させてくれる。

 

夏の夜は昼間に比べて少し涼しくて

秋の訪れを知らせるように虫が鳴いていたなあ、

ひんやりした敷布団で祖母と一緒に寝るのが楽しかったなあ、

などと思い出す。

 

蓮からは、仏やあの世を連想させられ

お盆や他界した祖母のことを思い出させられる。

幻想的な空間だった。

 

現代アートは筋トレ

紹介した二つの作品に共通するのは、鑑賞するとき心的外傷を受けることだ。

第一印象でびっくりさせられたり

想像していたものと違って実は恐ろしいものだったり

何かしらのストレスを受ける。

 

初めはそのゾッとした体験が忘れられず、

まるで幽霊を見たかのような感覚に陥る。

ドキドキして落ち着かない。

 

でもしばらくするとそういった体験は、

私自身に新しい考え方や視点を与えていたことに気付く。

 

筋トレは、筋肉に負荷をかけて筋肉を増やすと聞いたことがある。

現代アートも筋トレと同じで、

心にグサッと傷を与えるものでありながら

新しいものを与えてくれる。

 

今までも何度か現代アートを観て、

傷ついては発見を繰り返してきた。

だが、そのことに気づいたのは

わたしのフロントガラスからを観てからだ。

 

このイベントに限らず、

現代アートに触れる際は心の傷つきと価値観の付与を自覚して

触れたいと思った。